1852年から1870年まで、豊原国周を名乗るまでの画姓変遷、年玉印以外の落款、大首絵、大顔絵、ミディアムショットなどの構図、感情表現、誇張と省略の漫画、ストーリテーラーなどを論じた。 From 1852 to 1870, changes in the painter’s surname until he took the name Toyohara Kunichika, signatures other than the seal, compositions such as Ohkubi-e,Ohkao-e, medium shots, emotional expressions, manga with exaggerations and omissions, and storytellers. etc. were discussed
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改訂履歴
2021年1月 英文で発表 https://yokohamakonagi.wixsite.com/website
2023年10月 ホームページで発表
2024年1月 追補を書き加えた
2024年2月 追補 4)1856年の浮世絵
2024年11月 次の事項を追記改訂した。
1) 作品数の少ない1850年代を中心に10作品を新たに追加
2) 彼の風景画と御上洛東海道との関係
3) 豊原の画姓使用は豊国IIIの七回忌が終わった年から
2025年6月 1853年から1854年の作品を追記、その他マイナーな追記修正
2025年6月 1855年から1861年の新たに見いだした11作品を追記
Revision history
January 2021 Announced in English https://yokohamakonagi.wixsite.com/website
February 2024 Revision 4) Ukiyo-e in 1856
September 2024 The following items have been added and revised.
1) 10 new works have been added, mainly from the 1850s, when there were few works.
2) The relationship between his landscape paintings and Gojouraku Tokaido.
3) The use of the Toyohara artist surname began after the seventh anniversary of Toyokuni III’s death.
June 2025 Added 4 works thought to be from the period 1853-1854, and 11 newly discovered works from 1855-1861. Made other minor text corrections.
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豊原国周の作品は、美術品としての価値が今日ではほとんど認められていないが、江戸末期には絶大な人気を誇った浮世絵役者絵師であった。その人気の本質を解き明かすことこそが、本研究の目的である。浮世絵師・豊原国周については、菅原真弓が多くの論文を発表しており、それらをまとめた近著『明治浮世絵師列伝 第一章 豊原国周』(中央公論美術出版、2023年3月刊)も存在するが、そこでも曖昧にされてきた幾つかの事項について、あらためて確認し、さらに新たな切り口をもって国周の画業を評価し、その特徴を明らかにするものである。
国周のデビュー年である1852年から1870年までの時期を初期と位置づけ、その間に制作された作品を中心に、世界中の美術館や大学等に所蔵されている一万点以上の作品を調査した。その成果として、画名の変遷(豊原の名を用い始めたのは1870年以降であるため、厳密には一鶯齋国周と呼ぶべき時期も含まれるが、ここでは広く知られる「豊原国周」として通す)、捺印の変遷(彼独自の五菱年玉印を使用した事実)といった基本的事項を押さえた上で、国周作品の特質についても考察を加えている。
国周の作品は、単に彼以前の浮世絵師たちの作風と比較するだけではその本質が捉えきれない。彼は、江戸末から明治初頭という大転換期にあって、歌舞伎という物語を庶民に伝える役割を果たす、いわば現代の映像作家のような存在であったと考えられる。その絵には、庶民化されたやつし絵、誇張と簡略による筆致の漫画絵、大顔絵によって達成された感情表現、三枚続きの画面に一人の役者を描いてその感情を増幅させる構図の工夫、さらにはショットパタンによる視覚的効果を活かしたストーリーテリングの技法など、多様な工夫が見られる。こうした視点から、国周の作品の真価をあらためて読み解くことを試みた。
国周や、彼の師である豊国の作品が美術品としての評価に乏しいという現状は理解できる。しかし、それらを江戸時代のサブカルチャーの文脈において捉え直すならば、それぞれの作品はにわかに生き生きと立ち上がってくる。そこに描かれた役者たちが、苦悩し、怒り、あるいは何かを訴えかけるような姿が浮かび上がり、庶民に届く物語としての力を持っていたことが見えてくる。国周の描いた浮世絵は、現代における映画のスチール写真と同様の役割を果たしていたのではないかと考えた。
以上のような視点のもとに、第一章では検閲印を確認することで初期作品を選び出し、第二章では具体的な作品を挙げながら国周の絵を分析し、第三章ではその考察をまとめる形で、彼の作品の特徴を総合的に整理したものである。
農学博士 船越安信
連絡先:yokohamakonagi@gmail.com
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