豊原国周論考                    Kunichika Discussion

 国周のデビュー1852年から1870年までを初期として、その間の作品を、世界中の美術館、大学などに保管されている1万点以上の作品を調べた。その結果として、画名の変遷(豊原を名乗ったのは1870年から、従ってここでは一鶯齋国周と言うべきだが、豊原国周として広く知られている)、捺印の変遷(彼独自の五菱年玉印を使用した)、国周の絵の特徴などを考察した。

 国周の作品の特徴は、彼以前の浮世絵師の作風と単に比較したのでは捉えられない。国周は江戸末期から明治初期の歌舞伎物語りを庶民に伝える現代の映像作家のような活躍をしていたと考えられる。つまり、彼の絵には庶民化されたやつし絵、誇張と簡略された筆使いの漫画絵、大顔絵で完成された感情表現、三枚続きに役者一人を描きこの感情を増幅させる手法の確立、ショットパタンによる効果を使ったストーリーテーラーといった特徴があることを論じた。

 国周や豊国の美術品としての評価が低いのは理解できる。しかし、江戸時代のサブカルチャーとして考えると、それぞれの作品が生き生きとしてきて、描かれた役者が苦悩したり、怒ったりする姿が見えてくる。彼の描いた浮世絵は現代の映画のスチール写真と同じだと考えた。

 以上の様なことを、第一章では検閲印を確認して初期作品を選び出し、第二章では具体例を挙げながら国周の絵を検討し、第三章に考察として特徴をまとめた。

農学博士 船越安信

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